やっぱ底抜けステッカーあると、字ぃ書き難ぅなるなあ、と宿題をしていた子どもが言った。午後八時。草若兄さんの帰りは遅い。
「そやから、そのままで下敷きに貼るな、て言うたやないか。」
「そうかて、他に貼れるとこないやろ。ランドセルに貼ったらセンセにふざけて叱られたし。これ、アイロンプリントとかなら良かったんやけどなあ。」
「底抜けて書いてあるTシャツとか、着たいか?」と言うと、子どもがぶんぶんと首を横に振った。
一度でも着たいと言うたが最後、オレとペアルックにしよ、といらんことしいの男がやって来ることは学習したようだ。
「お父ちゃんも、それオチコのおばちゃんに言ったらほんまにグッズになってまうから止めてな。」
「……そんなこと、」
僕が言わへんでも、あっちの方で勝手にアイデアを出して妙にお祭り好きのファンに売りつけようとしてんのやから、と言い訳する前に、こちらの言葉に被せるように子どもが口を開いた。
「草若ちゃんも、こないだ野良ステッカーが道にほかされてたていうて、えらい落ち込んでたし。」
「野良……なんやて?」
「野良ステッカー。誰かの鞄からひらひら~っと迷子になってもうたんかな、こないだ僕と一緒に散歩してたときに、草若ちゃんが道端に落ちてたの見つけてしもたんや。なんやオレの子どもがほかされているみたいで嫌や~て言うて、こないして、慌てて拾ってさっと自分の鞄に仕舞てたけど。なんやあの後、めちゃめちゃ落ち込んでたし。」
子どもの横顔が、妙にふてたように思える。
あんたの子ならここにひとりおるやろ、とその場で言いたいのを我慢してたわけか、一緒におんのに不機嫌な顔見せんといて欲しい、て言いたかったんか。
そら頑張ったなあ、とその場にいない僕が言うのも妙なもののだ。
それでも、たまには子どもの頭を撫でてやろうと思いついたところで、子どもの頭の中はすっかり宿題に戻ってしまったようで「続きしよ。」とノートの上に視線を戻した。
まあ若狭も、出来てからそろそろ一年になる底抜けステッカーをあっちに配ったり、こっちで渡したりしとるから、たまにはそういうこともあるんかもしれんな。
もともとは、日暮亭のお客さんの年間会員更新用に作った付録としてステッカーやった。
どんだけの人が欲しいという需要はよく分からん上に、残った分は来場者特典にするには全席に行き渡る数がない。その残りをさばいて、更に残った分を物販のブースに広げてみたら、蓋を開ければ、これが一番安いから言うて、日によっては昭和のバナナのたたき売りみたいに売れてくとは聞いたけど、バンバン売れたところで道端に落としてく客がおるようではあかんやろ。
それにしても、野良ステッカーとは。
どおりで、昨日は布団に入るなり、僕のとこに寄ってくっついてきたはずや。
浮ついた顔をしてるでもなし、珍しいと思ってたらそういう理由があったわけか。
明日高座でしょう、て一応断るだけ断ったらそういうんとちゃうしとか言うて拗ねるし、なんやあったんやろとは思ってたけど。
「その野良なんちゃら、後で、しれっと売り場に戻しておいたらどうや?」
「お父ちゃん、そらないで。落語の話やないんやから。外にほかしておいてあったもんやし、粘着力がアカンようになってたらどないすんの。」
「どうもせんやろ。……まあ買うた人間がなんやかや言って来たとこで、ご本尊の草若兄さんが間に入ってなんとかしてくれるんと違うか?」
「お父ちゃん、またそんな適当言って……。売ってるのはオチコのおばちゃんやし、こういうの、毎回草若ちゃんにやらせんのも筋が違うと思うんやけど。」と子どもが呆れたように言った。
お前はあんだけ日暮亭に通ってんのに、兄さん本人が毎回毎回、底抜けにありがとうな~、と鼻歌を歌わんばかりの顔で愛想を振り撒いてステッカー売ってるとこは見たことがないんか、と言おうとして止めておいた。
四代目草若の名前を背負った男は、大体いつも、そういうタイミングで帰ってくる。
「筋は違うていようがいまいが、別にええやろ。」
子どもにはまだ分からん筋があるんや。大人にはな。

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