回るカウント
重たそうな荷物を運んでいる老婆に手を貸してやったら、お礼に面白いものを上げようと言われ、掌にコロンと飴玉を乗せられた。何が面白いのか、訝しみ聞いたが老婆は笑うだけ。まぁたまにはいいかと口に放り込む。甘ったるいものは好きでは無いが、それはどちらかと言うと酸っぱいもので、悪くはなかった。舐めているのはかったるいからと、ガリガリと早々に噛み砕いて腹に収めてから、異変に気付く。
人々の頭上になにか数字が浮かんでいるのだ。はて、なんだろうか。気味が悪い。不気味だなと思って仲間達の元に戻れば、その仲間の頭上にも数字。ゼロのやつも入れば二桁のやつ、三桁に差し掛かっているやつもいて、なんの数字なんだろうかと思い、ついナミに聞いてしまった。もちろん小言は言われた、拾い食いをするなと。拾い食いじゃねぇ、貰ったんだ。同じ事でしょ!まぁ、そりゃまぁそうだ。
「で?私は?」
「ゼロだな」
「へぇ、ルフィは?」
「んー?いち……だな」
「なんか負けた気がする……なんのカウントかしら」
なるほど、人によって数字が違うのなら何かしらのカウントというのは有り得る。年上連中はそれなりに回数をこなしていて、ナミや、ウソップ、チョッパーに、コックなんかはゼロだ。ルフィが一なのが気になるが、なんなのか分からない以上、考えても仕方ない。因みににおれ自身の数字は見えなかった。鏡越しでも映らないのだから、自分のは見えないように出来ているらしい。
最初こそは面白がっておれに誰それはなんて聞いてきたルフィ達は、しかしそれがなんのカウントかわからないとなると直ぐに興味を失せたらしく、あっさりと意識の彼方へと飛ばしてバラバラにバラけてしまった。おれがどうなろうとどうでもいいらしい。命に関わることではないから、というのもあるだろう。
暫くして、おれも気にならなくなってきた頃、ハートの海賊団が島にやって来ているらしいと気付いたのは、ペンギンを見かけたからだ。そいつの頭の上にも数字、二桁だった。コイツは二桁いくくらいには何かしらの経験値を積んでいるのだろう、多分。しかしその事を話せばルフィ達同様に面白がられて誰はどうだ彼はどうだと聞かれるのも億劫で、何もないように振る舞いつつ、トラ男はどこだと聞いた。その辺を歩いているか、情報収集の為に酒場だろうとの事。
礼を言って酒の匂いを頼りに酒場へ向かえば、カウンターに座る男の姿。店の中は人々と共に数字が並んで目が痛いが、トラ男の頭上の数字はゼロで、意外だなと思った。なんの数字かはわからないのに、意外だな、と。
「よう、トラ男」
「ゾロ屋?お前達も居たとは……厄介事が起きる前に島を出るべきか」
「ひでぇな」
あんまりの言い草に隣に腰かけながら文句を言えばくすくすとした笑い声、機嫌がいいらしい。
「久しいな」
「ワノ国以来だからな。どうだ?そっちの状況は」
「それなりに大変で、それなりに楽しんでいる」
海賊稼業をして楽しんでいるだと、世間からしてみればなんとも腹の立つ回答だろうか。だが、良い。きっと今までは楽しむなんて事が出来なかったらしい男が、楽しい旅をしているのならばそれは喜ばしいと思うべきだろう。
「ああ、そうだ、ゾロ屋」
「ん?」
「おれの船に乗る気にはなったか」
酒を注文しながら聞いた言葉に呆れてしまう。なるわけないだろう。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「つれねぇな」
「決めたろ」
ワノ国で別れるその時、おれ達は少しだけ話をした。話をしただけだが、その話というのがおれ達の関係を大きく変えた。ただの同盟相手だっただけの関係から、所謂、随分と甘ったるいものに。言葉を交わし、想いを通わせ、そして最後の最後、いよいよ別れるぞという時に男が言った言葉に、おれは無情にも首を横に振ったのだ。
例えこの世の唯一となろうとも、全てが片付かねば共には居られないと。
「野望を叶えて、ルフィが海賊王になったら考えてやるよ。言ったろうが」
「海賊王になるのはおれなんだが」
「させるかよ、ばーか」
「ひでぇやつ」
言いながらも、機嫌は悪くなっていない。くすくす笑って頬杖をついて、トロリと溶けた眼差しが向けられてむず痒い気持ちになる。
「なら、もうひとつの方は聞いてもらうぞ」
「っ、ぉ、う……」
ワノ国では、想いを通わせただけで、言葉を重ねただけ。特に何か起きたわけでも、したわけでもない。だからこそとも言えるが、トラ男はおれに約束をひとつさせた。
次会う時、お互い無事に会えた時、生きて会えた時。こんな世界で想いを通わせてまた再び会えるその奇跡が起きた時。全てを貰いたい、と。奇跡なんて下らないと一蹴したおれに、それでもと約束させたのだ、この男は。
「酒なら宿でいくらでも飲ませてやる」
だから来い、とおれが満足に酒を飲めてない内から立ち上がってしまう。そして背を向けて店を出て行こうとするその姿はおれが付いて来ないなんて思ってもいない素振りで、腹が立った、けれど。
ああ約束、しちまったからなぁ。
グイッと無理やり酒を流し込んで、やたらと高いその背中を追って、おれ達はすぐ側の宿へと向かった。
簡素な宿だ。壁が薄そうだなと笑う男に思わず肘を脇腹に入れてやっても笑うだけで、そんな余裕な素振りにはやっぱり腹が立つ。扉からベッドまではほんの数歩。まるでその為だけの宿のようだとより一層意識させられて立ちすくんでしまうおれの手を引いてそのベッドへ。おい、おい、待てよ、まずはシャワーを、そう言うのにトラ男は抱きしめてきて、待てない、なんて。
「落ち着け馬鹿」
「おれがどんなに不安だったかわかるか。わからねぇんだろうな、また会える確証も無いのにお預け食らってたんだぞ」
お預け、そんな、大層なもんじゃねぇよ、おれは。
だが抱きしめて見下ろしてくる男の熱っぽい眼差しを見せつけられては、文句の続けようがない。慣れた様子でゆっくりと降りてくる顔に、おれといえば、初めての事のようにぎこちなく目を閉じて、男の少しだけカサついた唇を受け入れた。薄くて、しかしやわっこくて、カサついたそれを、受け入れて、惜しむように離れて行くのを感じて閉じていた目を開いた。
「ゾロ屋……」
「トラ、男……ぁ、あ?」
あ?
「ゾロ屋?」
カションッと、数字が、回った。ゼロから、一へ。
「……」
「ゾ、ロっ……んっ」
今度はおれから口付けて、直ぐに離れる。カション、と回った。一から、二へ。
「……」
「おいっ、んん?!」
また口付けて直ぐに離れる。カション。二から、三。
「……………そ、う、いう、こと、か……」
「おい、急にどうした?なんだ、おい、おいゾロ屋?」
すっかり忘れていたというか、気にする余裕が吹き飛ばされてしまっていた、頭上の数字の存在。それを思い出させた回るカウント。その正体。
「お前、トラ男」
「なんだっ?!」
「キス、初めてだったのか」
「………………………?!?!?!?!」
余裕綽々にクスクスと笑っていた男の顔がぼふんっと一気に赤く染った。つまりは正解だということで、そして、意外だと思った感想は正しく、本当に意外な事にコイツ、百戦錬磨な面をして、え、え?
キスが、初めて、だったらしい。
「な、んで……わかっ、え……へ、変だった……か……?って、違う!いや、え?!あ?!」
「落ち着いてくれ、本当に落ち着いてくれ、頼む」
「おちっ、おちつ、おち……っ」
ワタワタし始める男におれと言えばおそらく同じくらいに顔を赤くして、しかしと考える。ああなるほど、そうと分かれば納得のカウントだ。ナミやウソップ、チョッパーに経験がないのは、そりゃそう。あの脳内残念なコックに至っても、頭の中だけで経験は無さそうだというのも納得。年上連中がそれなりに経験をつんでいるのも、それこそ、年齢による経験の差だったということだろう。なんだか知りたくなかった事実だけど、そりゃまぁ、とにかく納得。
「いや、待てよ?」
「待て?!」
「ルフィが一回というのはどういう事だ?あいつ……一回でも経験がある?あ?誰とだよ」
一番疎そうなやつに経験があるというのは中々に衝撃的で、思わずボヤいたその言葉は、ワタワタとして冷静さを失いかけている男の耳でもちゃんと入り込んでしまったらしい。
ガシッと頬を掴まれたと思ったら、酷く凶悪な顔が視界に入り込んできた。
「ゾロ屋……その様子のおかしさも然る事乍ら、寄りにもよって今、麦わら屋の名前を出すたァどういう了見だ」
「ふぁ……ふぁふい……」
「言え」
「ふぁ、ふぁい……」
さて、どう伝えてやろうか。いや、事実そのままを伝えればいいのだろうが、おれは何となくその話をしたあと厄介な事になりそうだと思わずにはいられなかった。カウントの正体、きっとトラ男はおれの回数を気にするだろう。おれの数字は見えないが、自分の事だ、わからないはずもない。正確な数字は全然分からないが、さてなんと言ってやろう。申し訳なさにおれはつい視線を外してしまう。
なんせおれは、こいつと同じカウント数ではないのだから。
案の定不愉快度マックスになったトラ男に、おれは唇が溶けてなくなってしまうのでは無いかと言うほどに攻められたのは言うまでもない。
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