ハッシュタグ



譲介は表向きは事務所の用意したInstagramでの公式アカウント以外でのSNSはやっていないということになっているけれど、本人とは身バレしないような形でアカウントを一つ持っている。仕事が入ると筆不精というか、全くなしのつぶてになってしまう年上の人からは得られないような仕事の情報を収集するためのアカウントだ。
TETSUの所属する事務所は大手と言う訳でもなく、公式のHPは二か月以上更新がない、そもそもTETSUの公演に至っては一週間前に更新をしてその頃にはチケットがソールドアウトになっているという有様で、こちらがひとこと明日の公演を見に行きたいと言えば本人から関係者席のご用意がされるのは分かっているものの、譲介は学生時代に一也に入れ知恵され、プリペイドの携帯を買ってアカウントを登録することにした。
SNS時代の俳優ファンのコミュニティというのは、どこからどういう経路で正しい情報が流れて来るのかという速さで更新される。
新しいCMを見たという話だとか、仕事の情報以外に、本人の目撃情報というのもちらほらとある。それも、個人的な住まいの周辺の話ではなく、地方公演に出る時に新幹線改札の中へこっそり見に行ったとか、公演の打ち上げで訪れた店に本人が来たという話で、隠し撮りや本人との写真は観測範囲内では見当たらないせいでストレスフリーだし、譲介が彼を知る前の時代の雑誌に掲載されていた写真が流れてくることもあるしで(これはまあ肖像権の問題でグレー寄りの黒であることは分かっているけれど)、本人からはいつまで経っても聞けない所謂「旬」の情報を提供されるので、譲介としては非常に助かっている。
それ以上に、TETSUのファンアカウントを作ってからは、所謂エゴサ――自分の名でインターネット検索を掛けること――は殆どしなくなったことが大きいかもしれなかった。今では十五人以上をリストに入れているTETSUのファンアカウントから時折流れてくる自分の評判を聞くだけで手いっぱいになってしまったからだ。生まれ変わったら譲介になりたいという話は少なくとも百回は聞いたし、初詣や七夕のたびに、役柄と共に本人の健康が取り沙汰されている。あまりにも平和だった。
このところの『界隈』で盛り上がっているのは、#サングラスだけでどうにかしてる気になってるTETSUどうかしてる、というハッシュタグだ。初めて見た時は吹き出してしまったが、確かに言い得て妙だと思う。
ちらちらと通りすがりに彼を気にしている人が、明らかに「存在する」。
カメラを向けられていないから、一見して誰も芸能人と分かって見ている人はいないように見えるけれど、実際は逆だろうと譲介は思っている。その証拠に、彼を見て通り過ぎようとした人が、自分のことを見つけてハッとして駆け出して行ったり、物凄い早足に切り替えて近くのスターバックスに飛び込んでいったのがその証拠だ。
譲介が片思いの切なさに浸っていられるのは、かっきり一分というところだ。こうして離れたところから見ている間にも、彼は周囲から目立ち過ぎるほどに目立っている。
それでも、通り過ぎる人たちが横目で見ていく様子に気付いていないでもないだろうに、本人は、いたって静かなものだ。
とはいえ、見られることに慣れているせいか、これまでは全く動じていなかったTETSUが、さっきから像の台座に腰を押し付けて腕時計をちらちらと眺めている。
明らかに落ち着かなくなっているその様子を見ていた譲介は、これは拳骨を貰う前にさっさと挨拶しないと、と彼の元へと駆け出して行った。

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