白風のころ
秋風が一陣吹きすぎて、縁側に座る姫鶴の髪をなびかせた。庭では同田貫と御手杵が焚火をし、そこに謙信と五虎退も混ざっている。落ち葉の山の中にはアルミホイルで包んだサツマイモが埋められ、火に熱されながらおやつになるのを待っていた。姫鶴のカンスト祝いということで、五虎退と謙信が育てているサツマイモをこの日のために収穫してくれたのだった。
さて今日の主役の姫鶴は風にあおられ右に左に形を変える炎をぼんやりと眺めていた。素足を撫でる風はひんやりとしているが、まだ気にならない。冷たいというのは痛く感じるところからが本番だと思っている。
そうやって見るともなしに火の動きを眺めていると、ひょいと小豆がやって来て隣に座った。
「かんすと、おめでとう」
「ん、ありがと」
「のむ?」
尋ねてはいるが、姫鶴が返事をする前に盆に置いた猪口に冷酒を注いでいく。小豆の器はなかった。
「飲まないの?」
「きみのぶんだからね」
ふうんと言い、だがたいして気にもせずに姫鶴は猪口に口を付けた。
米の味が濃い酒だった。まったりと口に芳醇な味わいが広がるが、後味は意外とすっきりしている。
「ふふ、美味しい……」
「それ、山鳥毛から」
お代わりも注いでもらい、二杯目を煽ろうとしたところだった。ぴたりと手が止まった。
「ほんとうはくちどめされていたのだが、もうおしえていいよね」
黙っていたら「のまないの?」と追撃を食らう。一口飲めば、やはり非の打ちどころなく美味しかった。美味いのが余計に腹立たしい。酒を前にして勿体ないことこの上ないが、機嫌が急降下した。どういうことだ。山鳥毛とは顕現してこのかた一度も一対一で話したことがない。向こうが放っといてくれるならこれ幸いと姫鶴の方も放っておいたのだ。
「きみのとくつきいわいのささだんごと、あと、ちょうきえんせいあけのおやつはだいたい山鳥毛からのさしいれだったのだぞ」
「はあ?」
地を這うような低音だった。戦場じゃないので刀は抜かなかったが、とはいえ目の前に山鳥毛がいたら足と手の両方一発ずつは出ていただろう。そういうところだ。そういうところが嫌なのだ。しかし、いま相手にしているのは小豆長光だ。何が言いたい。言うならさっさと言え。
姫鶴が睨みつけても小豆は平然としたものだった。危ないよだなんて杯を奪って盆に返す始末だ。
「きみがくるまえはね、山鳥毛もわたしたちのところによくかおをだしていたのだけれど、このなつからぱったりね……。しかたないからきみがいないときに五虎退と謙信景光を山鳥毛のところにつれていったりしたのだ」
もうそろそろ本当に面倒くさいからなんとかして、と小豆はにこやかに言った。
「それ、あのひとに言ったら? 甘やかしすぎ」
「ちゃんとかれにもいったよ」
「どうだったの?」
「このおさけをよういするときにつたえただけだから、へんじはきいていないのだ」
ますます剣呑さを帯びる姫鶴に小豆は両手を上げてごめんねと言った。小豆は姫鶴の知らないうちに、こういう西洋風のジェスチャーがやたらめったら似合う男になっていた。
「きみよりほんのすこし、あまやかしたのはみとめる」
「ほんのすこしぃ?」
ほんの少しだよと断言する小豆は肝が据わっているというか神経が図太い。愛嬌たっぷりに苦笑いするところなんて、いかにも人好きがしそうな雰囲気なのだが姫鶴は騙されない。
「きみがきちゃったから、ついむかしをおもいだして」
「みんな鎌倉生まれだよぉ」
それを言ったら五虎退と謙信も立派に千年級の刀なわけだが、ちっちゃい子はちっちゃい子である。
「……あのひと、そっちに顔出してたんだ」
「あたりまえなのだぞ。山鳥毛だって上杉のかたなだよ」
「早く言ってよ……」
「きかれたらこたえたけど、きみひとっことも山鳥毛のはなししなかっただろう。きをつかってきょうまでまってあげたのだ。いくさばたらきのほうがだいじだからね」
「カンストしたからけしかけたってわけ」
いっそ小豆くらい図々しいと腹も立たないものだった。小豆にはすがすがしい開き直りがある。食えない奴だし食っても腹を下しそうだが、そういうところは付き合っていて楽だった。
上杉の方にもちゃんと付き合いがあったと聞いて、姫鶴は少しだけ山鳥毛を見直す気になっていた。一文字の流儀を持ってこられるのは勘弁だが、ただの山鳥毛とゆかりの家の刀たちと過ごすくらいなら姫鶴だって拒まない。もしかしたら一文字から離れる場所を奪ってしまったかもと、らしくなく少々申し訳ない気持ちにすらなっていたのだ。
「あのひとなんか言ってた?」
「かおださなくなったことに? いうとおもうの? べつにかまわないってわらってただけだよ」
「は?」
さっきよりもさらに低い声だった。今度こそ我慢ならなかった。多少は落ち着いていた腹立たしさが一息に戻り、戻るどころか上回って姫鶴の腹を焼いていた。思わず立ちあがり、サンダルも放り投げて足音荒く縁側に上がる。だから一文字の頭目なんぞなるもんじゃないのだと毒づいていた。
小豆は無言でずんずん立ち去る姫鶴の背中に「へやにいるとおもうよ」とやっぱりにこやかに声をかけた。
山鳥毛とは付き合いが長いが、昔からこんな、顕現してから一度もろくに会話もしないような仲だったわけではない。上杉の家にいた頃は同じ重宝、同じ打刀拵で関係も深く、長船兼光と極められていた山鳥毛を《《年下の》》太刀として可愛がっていたものだった。だが大正に入る頃に山鳥毛が一文字と断定され、あげくに一家の跡目を継いでから、二振りの関係は瞬く間に変わっていった。特に頭目になってからがひどく、兼光とされていた頃を切り捨てるように山鳥毛は一文字に己を合わせ始めた。頭目らしく、一文字らしく、そのあり方は姫鶴には自ら呪詛を掛けているようにしか思えなかった。
足音荒く(威嚇は大事だ)廊下を進み、山鳥毛の部屋の障子を思いきり開け放った。雪見障子はバアンッ!とけたたましい音を立てて下段のガラスを震わせた。威嚇の甲斐あり南泉はひぃっ!と喉奥で悲鳴を押し殺し、日光は剣呑に眼鏡をあげていた。だがこいつらに用はない。すべて無視だ。一直線に山鳥毛を睨みつける。
静かに怒りを燃やす姫鶴に対して、山鳥毛の方は一瞬不意を打たれた顔をしていた。かすかに動いた唇が音もなく自分の名を呟いたのを姫鶴は見て取った。そのほんの瞬きにも満たない間の無防備さに、よもや己がここに来ると思っていなかったらしいことを悟った。そしてこの確信が姫鶴の怒りに油を注いだ。怒りで頭皮が粟立った。怒髪天を突くと言うのはこういうことだろう。
「俺たちは席を外しましょう。おふたりで話しあって下さい。行くぞ、どら猫!」
いよいよ顔つきが物騒になった姫鶴に、行動が早かったのは日光だった。南泉の首根っこを捕まえて部屋を出て行く。珍しく物分かりがいいと感心していたら、障子の前から離れる足音は一振りしかなかった。まったく、忠義なことだと鼻を鳴らした。
「どうした? 姫鶴一文字」
ふたり残された部屋で、山鳥毛は柔らかに微笑して言った。姫鶴の苛立ちが増すのは、これで山鳥毛が一家の頭目が板についているからだった。姫鶴は濃くて重いのは大の苦手だが、山鳥毛は確かに一文字にとって理想的な当主だった。
山鳥毛はどっかと胡坐をかいたまま姫鶴を見上げていた。彼も内番着だったのでサングラスに遮られずに視線は真っ直ぐ姫鶴に届く。こうやって真正面から相対するのはいつ振りだろう。いつからか姫鶴は向き合うことをやめていた。直視すればイライラするし腹も立つので、視界の端に入れるだけにしていた。
「上杉の子たちに会いに行ってやって」
低い声で発していた。
「それは……」
「なに? 上杉は捨てちゃった?」
「そんなわけないだろう!」
声を荒げる山鳥毛に少しだけ留飲が下がった。
「なら来なよ」
「きみは嫌だろう」
「あの子たちが悲しむ方がいや」
山鳥毛は目を逸らしはしなかったが押し黙ったままだった。その沈黙が火を付けた。怒りが一気に爆発した。
「文句くらい言え!」
襟元を引っ掴んで叫んでいた。声は鋭く、障子のガラスがびりびり震えた。どうしてそう我慢するんだ。もっと言いたいことを言って、好きなように振舞ったっていいだろう。
「我慢してんじゃねえ! ムカついたって言えよ! はっ倒してやるから! なあ!」
「そんなもの、あるわけないだろう!」
手を振り払われ、その反動でサングラスが畳に落ちた。
「文句なんて、ないさ。我慢もしていない」
「嘘つけ」
「……していても無理がない範囲だ」
「このっ……!」
こいつはこういう奴なのだ。知ってはいたが、だからといって納得できるものではない。
それでも笑みが抜け落ちた山鳥毛の表情には余計なものは何もなかった。初めてこの世界を目の当たりにするような目で姫鶴を見つめていた。
「理解、してほしい……」
溢れる声は透明だった。ああもう、とため息をついた。悲しいかな、これでも昔に比べたらだいぶマシなのだ。なんだかんだ言って姫鶴は身内に甘かった。
「……全部は無理」
「そうか」
「でもこっちにもちゃんと顔出して。次はあつきがキレるよ」
「わかった」
小さく笑って山鳥毛は答えた。
「今ね、けんけんとごこが焼き芋焼いてるんだ。お祝いだって」
「……私の分はなさそうだな」
「喧嘩売ってんの?」
軽く笑って謝りながら山鳥毛は立ち上がった。
「小豆に分けてもらうさ」
「ん、そうしなよ」
部屋を出ても日光はいなかった。やればこれだけ空気が読めるのだから自分に対してももうちょっとこう、どうにかなってほしいものだ。
幸いなことに今いる新築の棟はまだ空き部屋も多く、人の気配は少なかった。これ幸いとゆっくりと歩いて焚火をやっている棟まで向かう。本丸に顕現してこのかた、互いについて知らないことはたくさんあるはずなのに、会話は途切れ途切れのスローテンポなものだった。多分ふたりとも話題も言葉遣いも注意深く選びながら話していた。
「今度ね、うこぎ植える」
「ほお……」
「来年の春はうこぎご飯だねぇ」
「作れるのか?」
「みんなでつくるの」
庭に面した廊下は秋の日差しが差し込んでぽかぽかと温かかった。どっかの縁側で南くんが昼寝をしてそうだと頬を緩めたが、口にはしなかった。
「私が本丸に顕現して、最初に会った上杉の刀は小豆長光だったんだ」
「へえ……驚いた?」
「驚いたさ。驚いて、ここがどんなに貴重な場か思い知った。ここでしかできないことがあるんだろうと……」
山鳥毛が庭に出るガラス戸を開けると、びゅうと風が吹き巻いてふたりの顔を打ち足元に落ち葉を吹き寄せた。
「あ、山鳥毛だ!」
「姫鶴さーん!」
短刀の偵察値でふたりに気付いた五虎退と謙信が手を振ってくれる。同田貫と御手杵も緩く軽く手を上げ、遅れて気が付いたらしい小豆は芋を挟んだトングを掲げてくれた。ちょうど焼けたところらしい。
「お芋、分けてあげてもいいよ」
「対価はなんだ」
こういうところは、やっぱりかぁいくない。
「うこぎご飯つくるの手伝って」
山鳥毛は片眉を上げてちょっと驚いたあと、「わかった」と静かに答えた。
powered by 小説執筆ツール「notes」
15 回読まれています