水辺の悪魔

 魔法の言葉。あなたのために、良かれと思って。
 言われたらなんとなく許しちまうっつうか、むしろ怒ってる方が悪いンじゃねェかって気がしてくるキラーフレーズ。この発言をする奴は大抵の場合本当に悪気がないが、ごく稀に悪気百パーセントの悪魔みてェな奴がいたりする。
「わっりィわりィ、ファンのために良かれと思ってよォ〜!」
 そう、例えば俺っちとか。
「……」
 ほォらな、何も言い返せない。プロ意識の高いメルメルだから、いきなり顔面に水鉄砲の水をぶっかけられても“ファンのために”ぐっと堪えて笑ってみせる。俺っちもキラッキラの笑顔を返す。一緒に水鉄砲で遊んでたこはくちゃんとニキは、逆に顔を青くした。
「……やりよったな燐音はん」
「あ〜あ、僕知〜らない。絶対あとで怒られるっすよ」
「あとでならいくらでも怒られてやるっての。こうでもしねェとあいつ乗ってこねェっしょ?」
「んん、せやなあ……」

 プールを貸し切ってのプロモ撮影中、なんの打ち合わせもなしに暴挙に出たのは勿論考えあってのこと。
 パラソルの下で優雅に寛いでるメルメルはそりゃァ絵になるが、ファンってやつは欲張りだ。
 せっかくスタジオから飛び出して非日常の『Crazy:B』をお届けしようって企画なんだから、いつものあいつとは違った一面も見てェだろ? ユニットメンバーとプールではしゃぐ『HiMERU』、結構じゃねェか。俺っちは見たい。見たいし、もっと四人で遊びてェわけよ。ひと夏の思い出ってやつを作りてェわけよ! わかる⁉︎

「なァほら、おめェも来いよ」
「──仕方ありませんね」
 毎度必要以上に時間をかけて丁寧に丁寧にセットしてる髪の先から水を滴らせて、ようやくメルメルが立ち上がった。ADからいかつめのウォーターガンを受け取ったら(なんつー物騒なもん用意してくれてンだT田ちゃん)、貼り付けた綺麗な微笑みの下に俺っちへの怒りを漲らせながら、人工のさざ波をゆ〜っくり踏み砕いてこっちへ来る。
「他でもないHiMERUの顔を濡らしたのです。覚悟はできていますね……天城?」
「ちょっ……それたぶん痛いやつ」
 メルメルは「聞こえませんね」と小首を傾げた。待て待て、それはご家庭で洗車とかに使うタイプの高圧ノズルじゃ──
「ごめんなさいは?」
「ヒェッ、ごめ……っギャー!」
 本気の悲鳴が出た。嘘だろほんとに痛い。俺っちの尻が割れる。いやむしろ掘られる。
「いいいでェッ、てめやめろバカ!」
「HiMERUくんいい顔してるっすね〜」
「今日いちばんちゃう?」
「オイてめェら誰の味方だ!」
 薄情な奴らは「HiMERUくん」「HiMERUはん」と口を揃えた。リーダーが身体張ってるってのに酷ェ話だ。
「天城ごめんなさいは?」
「ごッ痛い! ごめ……言わせろゴラァ!」
 チクショウT田絶対ェ許さねェ。
 メルメルによる水責めは、涙目の俺っちがプロデューサーちゃんの背中に隠れるまで続いた。



「……やりすぎてごめんなさいは?」
「……」
「メールメル」
「……ごめんなさい。やりすぎました」
 背中が真っ赤になるまで苛め抜かれた俺っちは、一旦シャワールームに引っ込むことになった。撮影は一時中断。集中攻撃を受けた燐音くんの可哀想な尻は、きっと四つに割れているだろう。
「まァいいけどよォ。俺っちの尊い犠牲によっていいVが撮れたってンなら本望っしょ」
「そこはご安心を。プロデューサーさんが笑顔でサムズアップしてましたので」
「そいつはようござんした」
 ところで、と背中を冷やしてくれているメルメルを振り返る。
「頑なにプール入んなかったけどなんで?」
 『2wink』とMVを撮った時もそんなかんじだったから、違和感があるってほどじゃない。何気ない疑問だ。そしたら「本気で言ってます?」と限界まで眉を寄せた顔とかち合った。機嫌が急降下する音が聞こえるようだ。ギューンって。
「──あなたのせいですよ」
「俺っち?」
「あなたがつけた痕が消えてないんですよ!」
 言わなきゃわからないんですか、馬鹿か、と低い声で淀みなく罵られる。いや、でもさ。
「昨日はしなかったっしょ? “明日プールだから嫌です”っておめェが言ったンじゃん」
「一昨日の! やつが!」
「エェ〜?」
 半笑いの俺っちに、メルメルは着込んでたラッシュガードの襟をぐいと広げて証拠を突きつけた。確かにそこには、コンシーラーでも隠しきれない生々しい情事の痕跡が残っている。ワオ。
「覚えてねェ〜」
「でしょうね。あんた夢中だったっていうか、ほぼ理性なかったっていうか。やめろって言っても聞かなかっ……た……」
 急激に失速するクレーム。間近にある俺っちの顔が緩みまくってることに気づいたらしい。耳が赤いぜメルメル。
「おめェはよく覚えてンだなァ?」
 目を細めて問えば、失言だった、とその表情が物語る。ちょっとだけ茶化してやりたくなってきた。
「他には何覚えてンの? 言ってみ?」
「っ、あんたな……!」
 赤くなった顔を見られたくないのか、握りこぶしで背中をボコボコ叩かれる。ここまで予想通りの反応をされると笑いが止まらない。
「きゃはは、からかって悪かったって! そろそろ戻ンねェと心配されちまう。行こうぜ」
 名残惜しいけど、収録がまだ残ってる。キスのひとつでもしてやろうと身体の向きを変えると、やけに落ち着いた様子のメルメルに制された。
「他に何を覚えているか……ですか」
「あ?」
 意地の悪い笑み。カメラの前では死んでも見せないタイプのそれに、ひくりと頬が引き攣った。明らかに何か企んでやがる。
 いいですよ、教えてあげましょう。男が囁く。

「最中にあなたが“メルメル”と呼んだ回数は二十八回。逆にこちらが呼ぶと必ず中で大きくしますよね、バレてますよ。フェラしてあげてる間……たぶん無意識にですけど、ずっと俺の顎の下撫でてる。これはまあ構いません。悪くないので。あとイくの我慢してる時、これも隠せてると思ってるんでしょうけど、腹筋がピクピクするので普通にわかります。それと……」

「ちょっと待て?」
 俺っちはメルメルの口を塞ぎにかかった。凄まじい反射神経で伸ばした手を叩き落された。
「おや、もう良いのですか? まだあるのに」
「そういうのが聞きたかったンじゃねェんだよ俺っちはよォ〜〜〜」
「天城の恥ずかしいところならいくらでも出ますが」
 今度はこっちが赤くなった顔を隠す番だった。とんだカウンターを喰っちまった。つかそれだけならまだしも、
「勃っちまったンですけど〜!?」
「ふっ、ざまあないですね。収まるまでここにいては?」
 さっさと背を向けたメルメルの肩がぷるぷる震えてる。すげェ笑ってンじゃん。これじゃ撮影に戻れねェんですけど? おめェほんと最悪。この陰険腹黒冷血美人。
 シャワールームの出口へ向かいながら、一転、機嫌良さそうに男が言う。
「ああ、天城が不在の間はHiMERU達が繋いでおきますよ。あなたなどいなくとも、HiMERUがフレーム内にいるだけでじゅうぶんすぎるほどに華やかなのですから」

 リーダーはもうすこし休みたいかと思いまして。|良かれと思って《・・・・・・・》……ね?

 嘯くその笑顔は悪魔のよう。俺っちは両手を挙げて降伏。まったく大した性悪を捕まえちまったもんだぜ。

「ロケが終わったら、つづきをしましょうね?」

 最後にこっそりと流し込まれた甘い誘惑のせいもあり。うっかり熱が集まった顔とソコは、当分落ち着きそうもなかった。





(捧げもの再掲)

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