小さな王女の一つの祈り 2


 数日後。
 マリユスが体調を崩してから四日が経過した。多少熱は引いたもののまだ辛そうにしている。油断は禁物だ。
 様子を見にきた母はベッドのそばの椅子に座り、息子の手を優しく握った。
 「マリユス、大丈夫?」  
 「母様…ニネットは…?」
 虚ろな瞳で天井を見上げたまま、双子の妹のことを気にかけていた。
 「ニネットなら今お勉強中よ」
 「そっか…それなら良かった。ニネット、僕が具合悪いといつも泣きそうな顔するから…」
 「マリユス…」
 息子は自分の身体より妹のことを心配していた。自分が苦しんでいる時は決まってニネットも悲しそうな顔をする。幼いながらもそれを知っていたためあまり辛い様子を見せたくなかった。
 マリユスのことを心配していたよ、なんて言えない。ニネットが元気で明るく過ごしてくれると安心するのだから、言ったら傷つくだろう。そこで、最近のニネットの様子を話してみることにした。
 「ニネット、最近ひとりで楽しそうに宮廷内を探索しているみたいよ。貴方のことももちろん心配していたけれどね。暗い顔してたらマリユスが怒るからっていつも笑っているよ」
 話を一通り聞いたあと、母の顔を見てにっこりと笑った。
 「よかった。それならいいんだ」
 すっかり安心しきって深く息を吐いた。
 この子は心の中でどれほど色々なことを考えていたのだろう。子供とは思えないくらいの、大人のような思考を持っているのだと感じた。
 ソフィは握っていた手を離し、窓の方を指差した。
 「マリユス、いま外は雪が降っているのよ」
 「ほんと?」
 ベッドの中で首だけ動かして確認する。見えたのは真っ白な空だった。
 「早く雪の中で遊びたいな」
 ベッドの上の生活が続いているため外の空気が恋しくなっている。最近見た夢の中では元気よく庭を走り抜けていた。それはマリユスの願望が反映されたと言っても過言ではない。
 「元気になったらニネットと一緒に。ね」
 「うん」
 今からニネットと共に雪遊びをすることを想像し、楽しくなる。そのためにも早く治さなくては。
 少し眠気に襲われたのか、小さくあくびをした。
 「眠くなってきたの?」
 「うーん、ちょっとね」
 「そう。ゆっくり休みなさい。まだ治っていないのだから」
 「はい」
 いい子ね、とマリユスの頭をそっと撫でた。そして、
 「私は戻るわね。あとは小間使いに様子を見に来るように頼むわ」
 と言って部屋から出て行った。母の姿が見えなくなったあと瞼を閉じた。



 
 その後ソフィはニネットの部屋にやってきた。まだ机に向かっているニネットと、その隣で外国語を教えている教育係の姿が目に入る。
 「お勉強は進んだの? ニネット」
 「もちろん! 今日も新しい言葉を覚えたんだから!」
 嬉しそうにして教わった言語を暗唱した。その熱心な姿を見て娘なりに真面目に取り組んでいるということが伝わる。
 ソフィが「少し休憩を」と言ったので一旦勉強を中断させた。
 「ねー、お母さま。マリユスはどうだった?」
 「まだちょっと熱があるみたいだわ。でもよくなってきているはずよ」
 「よかったあ〜」
 マリユスの身体を一番心配していたのはニネットである。このままずっと熱が続いたらどうしよう、と思ってしまう時もあった。しかしだんだん快方に向かっていると聞いて胸をなでおろすのだった。
 「きっと私のお祈りが届いたんだわ!」
 「祈り?」
 「そう! 実はね…」
 にこにこしながら話を切り出す。
 「毎日聖堂に行って、マリユスのためにお祈りしてたのよ。早く治りますようにって。だから…」
 話の途中だったが、ソフィはぎゅっとニネットを抱きしめた。
 「そうだったのね…」
 兄思いの心優しい子。思えば、「ひみつ」と言って駆け出した時があった。もしかしたらそれは聖堂へ行っていたのかもしれない。
 誰にも何も言わずに人知れず祈っていたのだろう。その姿が安易に想像できる。
 「でもどうして秘密にしていたの?」
 「だって……一人でお祈りしたかったんだもの」
 少し照れくさそうに顔をそらしながら答えた。祈りを捧げる姿を見られたくなかったのだろうか。だとしたらなんとも可愛らしい理由だ。
 「そう。ニネットは優しい子ね。マリユスもきっと喜ぶわ」
 「うん! あ、でもマリユスにはまだ内緒よ!」
 「ふふ、わかったわ、秘密にしておくわね」
 納得した様子で大きく頷いたあと、窓のそばへ駆け寄った。そして空を見上げ、ぽつりと呟いた。
 「雪、今は降っていないのね…マリユスと一緒に雪で遊びたいな」
 先程までしんしんと降っていたのだが、どうやら止んでしまったようだ。
 マリユスと同じようにニネットもまた二人で雪遊びが出来るようになりたいと望んでいた。
 この子たちはどこか通じ合っている部分があるのだろう。双子ならではだろうか。早くマリユスの身体がよくなるように願わずにはいられない。
 「(…もうすぐ聖夜の日だもの。その日はマリユスと一緒に過ごしたいから早く治ってほしいな…)」
 そう心の中で唱えた時、白い空から綿雪が舞い降りてきた。まるで天使の羽根のように。ニネットの祈りが空に通じたかのように。
 「わあ……」
 その雪に思わず見惚れてしまう。ずっと窓に張り付いたままだ。
 様子を見守っていたが、勉強の途中であることを思い出したソフィは声をかけて現実に引き戻す。
 「ニネット。まだお勉強の途中だったわね。休憩はここまでにして続きをやりなさい」
 「えー、今いいところだったのに」
 「ほら、こっちに戻って」
 母に手招きされたとき、思い出した。自分が聖堂で祈ったとき、どのような誓いをたてたのかを。マリユスの病気が治るならなんでもする、勉強もする、両親の言うことも聞く。そう誓ったではないか。
 決して忘れてはいけない。ちゃんとやらないとマリユスの病気は治らないかもしれない。それは嫌だ。
 ニネットは自分の中の約束を果たすため、もう一度机に向かった。偉いわね、と母に褒められた。
 マリユスのために頑張るんだ─。



─────────────────────────────────



ここでおしまい…


公開日: 2020/8/1

powered by 小説執筆ツール「notes」

69 回読まれています