テイクオンミー
二十二時を十五分も過ぎたにも関わらず馬狼は電話に付き合ってくれていた。潔のしつこいお願いに諦めた、というよりは絆されたという方が正しい。けれど「もう寝る」という言葉がいつ出るかわからなくて、潔は途切れてしまわないようにサッカーの話題だけでなく、あらかじめ母から仕入れておいた馬狼が好みそうな便利グッズや最新のお掃除道具についての話を、ここぞとばかりに披露していた。あと五分でも、一分でも引き留めたい気持ちが必死に口を動かす。潔ですら今何を話しているのかわかっていない。けれど馬狼はただ静かに相づちを打っていた。たまに聞き返したり、続きを促すから退屈ではないらしい。それがうれしくて、潔の声はどんどん弾んでいく。
さすがにベッドには居たらしい馬狼の、寝返りをうつ音が聞こえ、潔は部屋の時計を見た。二十二時三十分、秒針が進む度にちらつくタイムリミットに声が途切れる。
「どうした」
急に黙った潔に馬狼が声をかけた。
「な、なんでもない。それでさ」
切られまいと必死な姿を知られたくなくて、潔は次の話題を探す。
「ちゃんと聞いてる」
それは、まだ切るつもりではないということ。いつだって馬狼の言い回しは素直じゃない。
「え、あ、うん」
嬉しさにニヤける口を、見られるわけがないのに隠しながら返事をした。馬狼が自分のルーティンを曲げてまで、潔の必死なおしゃべりに付き合ってくれる。嬉しくないわけがない。一度止まった口はまた滑り出すように動き、おしゃべりを再開する。
「馬鹿だな」
呆れたような、でもそれ以上にやさしい響きが耳に届く。
その時馬狼がどんな表情をしているのか、潔にはわかった。いつか馬狼の実家で見た、年の離れた妹たちの話を静かに聞いている時の表情が浮かぶ。普段の険悪な表情は消え、いつも皺を寄せている眉は凪いでいる。小さな相づちは会話の中に溶け込むような心地よい響きで、話す相手を見つめる瞳は穏やかだ。きっとそれらは馬狼が大事にしている相手に見せる姿だと、潔は感じた。
いつか自分もその相手に、馬狼が心の内側へ招く人間になりたいと思っていた。けれど、どうやらすでに迎えられていたらしい。
馬狼、と堪えきれなかった想いが勝手に呼びかける。なんだと聞き返されて、どうしてビデオ通話にしなかったのかと後悔した。
「あーもう! 今すぐ会いたい」
「来りゃいいだろ」
ふん、と鼻で笑う声に、潔は埼玉と秋田の距離を恨みながら新幹線のチケットを調べ始めた。
powered by 小説執筆ツール「arei」