庭の鰐



――公開出来ないから無断転載はするなよ。
年賀状を送って来たきり音信不通だった和久井くんが、その短いメッセージと共に送って寄越したのは、鰐の映像だった。

ワオ、ワイルド、さすがロサンゼルス。

芝生の上でうねうねと動く鰐は、アニメやイラストでよく見るような鮮やかな緑ではなく、どちらかと言えば黒に近い。
目測で1.5メートルくらいの体長。
こんな鰐、日本じゃ動物園や水族館でもお目に掛かれない。
アマゾンの奥地から遥々やって来た、というのはそれこそ漫画の世界だから、近隣の動物園や水族館から逃走中であるとか、あるいはご近所の鰐をちょっとお借りしてお庭のインテリア風に、とかそういう類の話に違いない。
鰐って鳴いたりするのかしら、と思っているうちに、その声の代わりに『うわ、ちょっと。』という和久井君の声が聞こえて来た。
(そもそも、鰐を目の前にして、うわ、ってどういうことかしら。あのギザギザの歯に噛みつかれたらどうなるかとか考えないでスマートフォンを構えてるなら、ちょっと暢気すぎない? カメラを構えてる暇があったら杈でも持って来るなりしたらいいのに。)
もし、今隣に黒須君がいるタイミングなら、このくらいは言っていたはずだ。
まあ、よく考えてみたら、杈なんてものが一般的なアメリカのご家庭に常備されていたら、そっちの方が驚きだけど。
あちらは銃社会とは言っても、その銃だって、許可がなければ携帯できない建前がある。もしも和久井君にカウボーイの素質があれば投げ縄で鰐の口を縛ることも出来るだろうけど、逆立ちしても無理そう。(それにしたって……和久井君も、ついこの間まではマンションに住んでるって言ってたのに、いきなり戸建かぁ。不動産バブルが弾けたと言っても、クエイド財団ってお給料いいんだろうな。)玄関に飾られている可愛いリースは、この間インスタグラムに上げてた写真で見たことがある。そう思ってしみじみしているうちに、カメラのアングルが引かれて、人家にいきなり出没した鰐の目の前に対峙している人物が映し出された。ワックスで固めてもそうはならないだろうという、特徴的なヘアスタイル。剥き出しの腕は太くて、鰐の横幅に引けを取らない。
どうやら、この人物が、鰐の背丈ほども大きさのある四角いトラッシュボックスを盾に鰐と睨み合ってるおかげで、和久井君がこうして撮影出来ているらしい。
『おい、譲介、おめぇ見てないで助けろ!』
『すいません、僕は都会っ子なので。ジャングルクルーズみたいな捕物は、徹郎さんにお任せします。』
(和久井君、都会っ子って……私たちもう三十代も半ばなんだけど。)
その弾んだ声を聴いていると、小さな画面に鰐と一緒に映し出された大柄な人物が、和久井君の年上のパートナー氏であることは間違いない。正直、高校時代にお世話になってた三十も年が上の人と式を挙げると言った時には、耳を疑ったけど、和久井君と来たら、妙に幸せそうだ。
『さっさと終わらせないと、そいつ、他所に逃げちゃいますよ。』
『クッソ、後で見てろよ。』
まるで悪役のような捨て台詞を吐いたその人は、大胆にも、えいやッとばかりに大きな蓋のついたゴミ箱を横倒しにした。
「えっ。」
ゴミ箱の中からは、こちらが懸念したような生ごみが出て来ることはなかった代わりに、鰐がのそのそと中に入って来た。そうして、その中に鰐の顎が入ったとみるや、「徹郎さん」はそのまま蓋を鰐の居る方へと倒して、その背に衝撃を与えた。驚いた鰐がゴミ箱の中へと前進したとみるや、自分の方へとまたゴミ箱を手早く立たせ直して、すっかり鰐の身体の大半――尻尾の半ばまでを中に納めてしまった。鰐の捕獲方法マニュアルなんてものがあったら、参考映像としてそのまま挙げられそうな動画だ。
暴れる鰐をそのままに、ゴミ箱の蓋を「徹郎さん」がかっちりと閉めたタイミングで『うわ、カッコいい。』という和久井君の独り言が聞こえて来た。
(えっ……今のどこに、惚れ直すような要素があったんだろう。)
大型鰐の尻尾の先までを、プラスチックの黄色いトラッシュボックスに封印し終えた「徹郎さん」は、今の和久井君の言葉が聞こえていたのかいないのか、一仕事終えたばかりの笑顔をカメラに向けた。
この間、三十秒と少し。
『お疲れ様でした。』という和久井君の言葉で、動画は終わっていた。


惚気なら惚気らしく、普通にメッセージだけ送ってくれたらいいのに、とは思うけど、こんな風に近況報告があるのは悪くない。玄関扉のリースも、可愛かった。
和久井君の面白い動画のお返しになりそうな黒須君の写真ってあったかしら、とカメラロールをスクロールしていくと、最近の彼と撮った写真がほとんどないことに気付いた。
「今週末に、どこか一緒に遊びに行こうかな。」とぽつりとつぶやく。
互いの身長差で自撮りは難しいけど、それならそれで、誰かに撮って貰えばいいことだ。
携帯の画面をロックして、大きく伸びをする。
次の方どうぞ、と言うと、昼一番目の新しい患者さんが扉を開けてやって来た。
さて、週末になる前に、どこへ行くか考えておかなくちゃ。
目敏い患者さんに、宮坂先生、いいことがありましたか、と尋ねられたので、私はマスクの下で小さく笑みを浮かべた。


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