side by side - ローガン+アル

 肌をあたためる日差しを縫って、秋の風が首筋を冷やす。空は都会のビル群に切り取られながらすこんと高く突き抜けて青い。グローサリーストアのロゴが大きくプリントされた紙袋を抱え直しながら、ローガンは澄み渡る空を見上げて一度、大きく呼吸した。
 街角を曲がって正面、地下鉄に繋がる階段の脇に一人の作業員が立っている。運行再開の見込みもなくいつも何かしらの工事をしているふうのそこで、作業員がローガンを見留めると目だけで会釈をし、ローガンもそれに返して通りすがる。作業員の足元には、先週とは異なる「足元注意」の看板が置かれていた。
 突き当たり正面に靴屋を望む道の半ば、コインランドリーの隣接するタバコ屋の前でローガンは足を止めた。店の前、ペンキが剥げ落ちた二人掛けの椅子にはすでに先客がある。明らかに屋外向きのものではないそれは風雨に木目をささくれ立たせて、見るからに座り心地が悪そうだが、腰かけた彼女には差し当たり問題はないようだった。
「天気がいいな」
 通りの向かいに顔を向けていたアルはさして驚く様子もなく、声がした方を見上げて訝しげに眉根を寄せた。
「本気かい?」
「……なんだ」
「まるで老人みたいなことを言う」
「老人じゃなくても天気の話はするだろう」
 奇跡的に、ローガンが腰かけてもそのベンチが砕け散ることはなかった。デニムを履いた尻の下で不気味にギッと音を立てた以外にはなんとか耐えているようで、ローガンは足元へ慎重に腕の中の紙袋を置いた。ローガンの答えに少しばかり肩を竦めて、アルは正面の通りに向き直る。
「私には別の話題がある。アンタもよく知る腑抜けのことだけどね」
「興味深いな」
 ふん、と鼻を鳴らし、使い古された杖がローガンの爪先を突く。
「あんなスイッチの壊れたバイブみたいにうるさいふざけたファッキンマザーファッカーの話題を持ちかけて、興味深いなんて答えるのはアンタくらいだよ」
 ちょうどその時、二人の前を鮮やかな蛍光色が横切った。「おはようアル」ランニングウェアを纏った近隣住民らしいランナーは、ベンチに腰かけたアルに足取りと同じように声をかける。「まだ昼前だよ」
「おはようリズ、世界のどっかは夜だ」
 声を張って答えたアルに、リズと呼ばれたランナーが横顔でローガンに苦笑を伺わせた。
「これから聞く話は深夜向きか?」
「今さっき、アタシは部屋を追い出されたところでね」
 唐突な言葉にローガンは一瞬間を置いて、アルを見た。彼女の横顔は平生と変わらず落ち着き払って、ともすれば不意に機嫌を爆発させそうな緊張感のある、二極な雰囲気を抱えている。なんと返すべきか迷って口を開いて閉じたローガンに、アルは構うことなく話を続ける。
「覚えておくといい。あの男は天気に対して大抵150度くらい反対に向きがちなんだよ」
「……読みにくいな」
「そうでもない。こうやって清々しいくらいに天気がいいと、大抵寂しくなる」
「寂しくてアンタを追い出すのか?」
 言ってから、聞くべきではなかったと思った。自分から出た問いに対する答えは、誰より自分が知っていることだった。
「性分だね。確かに信じられるものは自分の中の寂しさだけで、周囲にある思いやりが全部偽りになる。そうやって目の前にある寂しさだけに身を委ねて、孤独な己に絶望して、生きることを諦めたくなる。……酒と薬の都合もあるけどね」
 そこまで話して、ふうっとアルは一息ついた。
 向かいのパン屋に客が入り、少しやかましいくらいのドアベルが鳴り響く。親し気に腕を組んだ二人組がレコード店の前に置かれたディスクボックスを漁り、くすくすと笑い声を立てている。自転車に乗った配達員が向かいから来た車にクラクションを鳴らされ、中指を立てて走り去る。ローガンの足元にはどこからかカラスが飛んできて、何も得られないとわかるや否や嘴をどこかへ向けて飛んで行った。青い空に黒い鳥の影はよく映えた。
 分かち合えない寂しさを抱えて、今ウェイドは何を考えているのか。ローガンは通りに溢れる日常を眺めながら思った。背中を向けた壁沿い、その左隣の集合住宅、17の番号が振られた部屋。その一番窓際にあるベッドで、あいつは丸くなっている。ソファかもしれない。ブランケットを頭からかぶって、うずくまっている。鼻にも耳にもわかる気配はないが、きっとそうだと、およそ根拠のない確信をもってローガンはその姿を脳裏に描いた。頬が濡れていないか、それが気になった。一度気になると、膝の裏がむずむずとくすぐったく感じられた。
「アル───」話を切り上げようとしたローガンの膝に、不意にアルの手が触れた。ぽん、と宥めるように一度弾んだそれに、逸る衝動がローガンの全身から抜けていく。
「アンタが来てから、ウェイドはもっぱら正気だ。真っ当にろくでなして、誠実にイカレてる。いろんなものに縋って誤魔化し続けてきた毎日に、正気に、耐えられるようになってる。言っておくけど、本当に驚くべきことだよ。これ以上に驚くことがあるなら、アタシはホワイトハウスに単身で乗り込んでマシンガンをぶっぱなしながら裸で踊ってやってもいい」
「やめてくれ」
 思った以上に懇願の色が籠った声に、アルは「そう? 楽しみだったのに」と至極残念そうに呟いた。真実味と冗談の塩梅を判別しかねるジョークに、ローガンも口端を持ち上げながら、耳の奥で彼女の言葉を反芻していた。
 ───手近なものに縋って、正気を誤魔化し続ける日々。
 足元の紙袋に覗く瓶の口に刻まれたメーカーのマークが、遠くない記憶をローガンに思い起こさせる。逃れようもない現実に耐えられず、怒りに溺れ、絶望に溺れ、孤独に溺れた幾千もの毎日には、今目の前に安穏と横たわる日常が入り込む隙はなかった。あの毎日にも、世界はこうして過ごしていたんだと、最近になってようやく考えられるようになったところだった。
「私は散歩に行ってくる」
 そう言って、アルは杖を掴むとすっくと立ちあがった。咄嗟に肘を支えて、ローガンも一緒に立ち上がる。すると二人の足元でガラガラと音がして、古びたベンチの残骸が道端に転がった。
「……ついでにどこかのゴミ捨て場から椅子も拾ってこようか」
「気をつけて。必要なら人の手を頼んでくれ」
 ローガンの言葉に構うな、と手を振り、紫の背中は横断する車を横柄に止めつつ、道路を渡る。時折不安定さを見せながらも慣れた足取りで道を進むアルに、見せかけだけの地下鉄の入り口に立った作業員が「足元にお気をつけください」と声を掛けた。
「うるさいよ。嘘つくんならもっとマシな嘘を考えてきな」
 半ば怒鳴られるようにして押しのけられた作業員が目を瞬かせながら見つめてくるのを無視して、ローガンも紙袋を拾って歩き始める。
 膝の上に置いて預けられた鍵を握りしめ、高い青空を背に、暗い集合住宅のドアをくぐった。




@amldawn

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