サヨナラ公演


夕方の寝床は、今日も賑わっていた。
兄さんらぁのコップはビールで満杯、小草々くんのコップにはオレンジジュース。お咲さんに食べ物が減って来たら順々に大皿の料理を出していって欲しいと頼んであるし、今日はいつもみたいに慌てることもなさそうな気がする。
それなのに。
何か大事なことを忘れてる気がする。
大事なこと……大事なこと……大事なこと……。
「そういえば、最近四草兄さんのお誕生日会やってませんね。」
「下手なバースデーソング歌ってくれるはずの兄弟子が、ずっと欠けてたからな。」
四草兄さんの当てこすりを聞いていた小草若兄さんが、隣でビールを吹き出した。
草々兄さんも、草原兄さんも(四草、お前もしかして、あのド下手くそな歌を歌って欲しかったんか……?)といわんばかりの顔つきで目を剥いている。
「あ、あの、四草兄さんて、今年いくつになったんでしたっけ。」
「四十や。」
「不惑やないですか!」
「よう知ってたな。」
「あ、それは小浜の父が、なんや『区切りの年や~!』て言うて、三丁町で芸者さん呼んで遊んでたのが母に見つかった日のこと、ずっと忘れられんで。お父ちゃん、私が家に帰って来たタイミングでおばあちゃんに『マサノリーー!』って、でっかい声で叱られとったんです。正平は図書館で本借りてから帰るぅ、言うて居合わせずに済んだんですけどぉ、私はその日、順ちゃんも風邪引いて休んでたもんで、ひとりでおってもしゃあないから早く帰ろ、て思ったのがいけんかったんですね。丁度お父ちゃんがおばあちゃんに叱られてるタイミングで玄関くぐってみたら家の中がそんなんで。お母ちゃんは角生やしてて、冷蔵庫の中にはでっち羊羹もないし。雷落とす、言うのって、ああいうの言うんですかね。『不惑にもなって、家にお金も入れずに遊ぶのに使って、どないします!』て祖母がえらい剣幕で。なぜか、小次郎おじちゃんの時はな~んも言わんかったんですけどね。」
「……そうか。」と四草兄さんが絶句する気配。
あーーー!
……また話し過ぎてもうた。
「そら『なぜか』ではないわな。」と草原兄さんの突っ込みに頷いてから小草若兄さんはシソのはさみ揚げを食べている。
「相変わらずやな、お前のうちは。」
「って草々兄さん! 相変わらずって、今の話やのうて、私が子どもの時の話ですやな。」
「そうかて、小次郎さんではな。」
「お咲さんまで……。皆、人の家のことやと思って気軽にやいやい言いますけど、当時はほんまに大変やったでえ……。」
「泣くな若狭。」と四草兄さんはいつものように頭をぽんぽんと撫でる。
「泣いてませんて……。そういえば、芸者さんは呼べないですけど、誕生日の歌、今からでも歌いましょうか?」
「アホかお前は。誕生日でもないのにそんなもん歌ってどないすんねん。」と草々兄さんが私の頭をぺしりと叩く。
「オレは別に歌ったってもええけどな。……今夜は小草若ちゃんの美声を聞かせたるでぇ~!」
小草若兄さんはビール瓶をマイクに見立てて、立ち上がった。
「ま、今日はぎょうさん食べて浮世の憂さを忘れることやね。はい、これ皆さんでどうぞ。」と言ってお咲さんがいつものお餅、『嫁のヤキモチ』に最近流行りのずんだ餡を付けて持って来た。
「試作品やで~。食べたら感想聞かせてな。」とカウンターの中から熊五郎さんがにこにこと笑顔でこちらを見ている。
枝豆を潰したところに砂糖を絡めた餡は緑色が鮮やかで美味しそう。
「オレも歌ったるでぇ、と言いたいけど、先に餅食べてまうか。このままだべってると固くなってまう。」
「そうですね。」
草原兄さんの助け舟のような合いの手に、四草兄さんが頷いて手を出したので、しゃあないなあ、という顔で小草若兄さんも座り直した。
「最近の寝床、新しい料理が出て来るようになったな。」
四草兄さん、流石中華料理店で長くバイトをしてきただけあって目敏いなあ。
「そうなんですよ。この間のきのこのグラタンもほんまに美味しくて。」
「グラタン?」
「あ、この間出て来た時、四草兄さん、いつもの落語会でいてはらへんかったんでしたっけ。」
確か、名前のない落語会とかなんとか。
「こいつ、自分の手で落語会やらへんと気楽に構えるヤツ出て来るんちゃうか、て大口言うてる割には、色々おねえちゃんらのファンにやらせとるからな。」
「え、前座とちゃうかったんですか?」と言うと、「前座だけやのうて、トリも務めてんのや、こいつ。あそこまで行くと、独演会ってよりはクリスマスディナーショーやな。」と小草若兄さんが箸で四草兄さんの方を指した。
「あの~、ディナーショーて、郷ひろみとか、そういう往年のスターがやるもんとちゃうんですか?」と言うと、後で小草々くんがジュースを吹き出す音がした。
「まあ、四草のファンにとっては、こいつも郷ひろみみたいなもんなんやろ。」
草原兄さん、また適当なことを。
隣で草々兄さんが、「ハテ?」って顔で困惑してはるやないですか。
「それにしても、ファンに落語会の運営をさせてるとはな。あの会場、お前が自分で選んだにしては、えらいせせこましいハコやな、と思ってたんや。」と草原兄さん。
「草原兄さん、その落語会のこと知ってるんですか?」
どんな会場なんやろ、ディナーショーみたいな場所って。
「オレも前に呼ばれてな。……前座で出ても、他よりギャラいいねん。」
草原兄さんが、うしし、という顔で笑っているところを見ると、本当にいいギャラなのかも。
小草若兄さん……は、こないして拗ねてるとこ見ると呼ばれてないんやな。
どっちかいうと、一番に呼ばれそうな気ぃもするんやけど。
四草兄さんは「人脈も落語家の腕のうちでしょう。」としれっとしている。
「ああいえばこういう、お前はほんま口の減らんやっちゃな。」と小草若兄さん。
「おい、小草若、自分のことは棚に上げて何偉そうに四草に説教してんねん、お前は。落語会どころかしばらく稽古もしてへんのやないか。」
隣で座っていた草々兄さんが、とぺしりと小草若兄さんの頭を叩く横で、「この餅、旨いな。」と四草兄さんはしれっとした顔をしている。みんなマイペースすぎるなあ、と思いながら、わたしは小草若兄さんの空いたコップにビールを注いだ。
「お咲さん、ビール追加お願いします。」
「はいよっ!」
「そういえば、小草若、お前……。」と草々兄さんが何かを言おうとしたその時。
「気が付いたか、草々。四草のヤツが四十になったと言うことは、お前もオレも、今年は三十代最後の年っちゅうわけや!」
小草若兄さんが、草々兄さんのシリアスな話しに持ち込もうとする雰囲気を察知したのか、ビールの入ったグラスを持って立ち上がった。
「オレはなあ、三十代最後の年にどでかい花火を上げたるで!」
「おい、小草若。」と草々兄さんがやや困惑した顔になっている。
「やるで『小草若ちゃん、三十代お別れ落語会』! 帰って来た小草若ちゃんや!」
「おい、小草若、ちょっと真面目な顔したかと思ったら、何をしょうもない企画立ててんのや……。」と草原兄さんは呆れている。
「お前は……四草の落語会に、そんなタイトルで張り合うてどないすんねん!」と草々兄さんが突っ込んでいる。
「草々兄さん、ちょっと声大きいですよ。」と言うと、小草若兄さんが、向かいの草々兄さんに張り合うようにして「徒然亭小草若、三十代サヨナラ公演や〜!!」と舌を出した。
「おい、小草若ぅ! お前、妙な独演会企画する前に、襲名披露興行の話が先やろが。」
あ。
草々兄さんに答えを言われてしもた……何でこないに大事なことするっと忘れてたんやろ。
「……また逃げんのですか。」
四草兄さん、眉間に力を入れて般若の顔になってるやないですか。
こういうのが嫌やから、こうなる前にさっと話しまとめてしまおうと思ってたのに!
小草若兄さん、そこで、私に助けを求めるような顔せんといてください……これは流石に、自業自得とちゃいますか。
草原兄さん、どうにかしてこの状況、収拾付けてください、と泣きつこうと思ったら「よう思い出した、草々!」と大根役者のようなセリフ回しで鞄からスケジュール帳を出している。
あ、落語講座の日程と被らんようにせんとあかんですもんね。
いや、そもそも……。
「あの~、襲名披露興行の前に、小草若兄さんのその三十代サヨナラ落語会で、これから作る常打ち小屋の宣伝してもろたらええんやないでしょうか。鞍馬会長の手前、あんまり宣伝費も掛けられんと思うでぇ。」と手を挙げると、小草若兄さんの顔がぱっと輝いた。
「若狭〜! オレの味方はお前だけやで!!」と若い頃に流行ったコアラみたいに抱き着いて来る。
「オイコラ小草若、お前は気安ぅ人の嫁に抱きつくな。」
「草々兄さん……!」
草々兄さんの手で引きはがされた小草若兄さんは、そのまま眼光鋭い四草兄さんの前に引き出された。
「なんやねん、四草。」
「その三十代サヨナラ公演とやらが終わったら、草若の名前継ぐ覚悟は出来てるってことで、いいですね。」
四草兄さんのドスの利いた声……。
「そうなんか!? 小草若!!」と草々兄さん。
「お、おう。」
四草兄さんと草々兄さんふたりに迫られて、小草若兄さんは酔っ払いから一気に素面の顔になってしまった。
こうなったら、もう底抜けカラオケ大会どころじゃない。
草原兄さんは……静かやなと思ってたら……まだスケジュール帳見とんなった。
「あの、草原兄さん……襲名披露の日程は、一応新しい常打ち小屋のリフォーム工事いつ終わるか目途が立ってからの方が……。」
「あ、そうやったな。おい、小草若、もしまた襲名披露の前に逃げたなったら、ちゃんと草々か四草か若狭か次の草若に指名してからにせえよ。」
「草原兄さん、またそないなこと言って……小草若兄さんも『その手があったか!』みたいな顔せんといてください。」
「じょ~だんやって。」と言って、小草若兄さんは笑顔を見せた。
「草若って名前を背負って生きてく、て決めたんや。今さら逃げるかいな。」
小草若兄さんのその顔を見て、草々兄さんも四草兄さんもホッとしたような顔つきになった。
「お餅、またまだあるからどんどん食べてね~。」とお咲さんがやって来た。
「お咲さん、全員分の暖かいお茶、貰っていいですか?」と私が言う間にも、お咲さんが新しく持って来たお餅に、皆さっと箸が伸びている。
「お茶、ちょっと暖めてくるから待っててね。若狭ちゃんが入れたやつの方が皆喜ぶと思うけど、今がそういうタイミングやね。」と言って、お咲さんは明るい笑顔のままで熊五郎さんのいる調理場へと戻って行く。
次は何を頼もうかと顔を上げると、四草兄さんと目が合った。
「若狭、そのグラタン、オレも食べたい。」といつもの顔で言うクールな兄弟子に「はいぃ!」と私はいつものように返事をした。

                                                                                                                                                                                                                                                  
 
 

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