握り飯


「お、おかえり、早かったやないか。今日は草若ちゃんの特製栗ご飯やで~!」
今日の兄弟子のエプロンが派手だ2010。
妙なキャプションが頭のどこかを横切って行ったような気がしたが、きっと気のせいだろう。
「もう八時回ってますけど。」
どこが早いんですか、と言わんばかりの視線を向けたところで相手はどこ吹く風。
片手に飯椀、片手にしゃもじでこちらを待ち受けていた人は、味噌汁もあるで、と機嫌が良さそうに笑っている。
どこから見つけて来たのかも分からない能天気な水玉のエプロン姿が、車のハイビームのライトくらい眩しく忌々しい。
こういう時に揃いのエプロンを着ているはずの子どもは……という考えがちらりと頭を過ぎった。
まあ、僕がどの時間の電車で帰るか予定がはっきりしなかった以上、先に寝ているか宿題を片付けている可能性が高い。
それにしても栗ご飯とは。豪勢ではないにせよ、季節の味ではあるし、手間が掛かっている。料理は始末や、お金を掛けずにひと手間を掛けるのがええのよ、と言っていたおかみさんが作っていた料理だ。
平兵衛がうちに来たあの秋にも、弟子総出で、栗剥きを手伝わされていた。
あの場には、草原兄さんと草々兄さんとこの人と……師匠もいた。
ぼんやりとしている僕のことをどう思ったのか、「まあええわ、早う食べぇ。」と兄さんが言った。
オレがよそったる、と言って、買ってきたばかりの丼に盛りつけられた栗ご飯には、赤飯の小豆を一回り大きくした、小ぶりの金時豆が入っていた。
「……これ。」
「懐かしいやろ、おかんの栗ご飯。」
師匠がそんな甘くもない栗のどこがええねんと常々言っていたせいかは知らないが、おかみさんの栗ご飯には、店で出る品のように、甘く炊いた煮豆が一緒に混ぜてあったのだ。それにしても……。
「これ、ちゃんと栗の皮、剥けてますか?」
大きいつづらと思って買った栗が茹でて中身を見たら思ったより小さかったとかそういうこともあるのかもしれないが、箸で持ち上げてみた栗は、記憶にあるよりは小さく見える。
「これおチビと一緒に作ったんやで、オレだけとちゃうわ。」と兄弟子は負け惜しみのように言った。まあ今夜は指先に絆創膏が付いてないだけ、あの頃よりは包丁の使い方はマシになったのだろうと思う。
子どもと一緒に食べてしまったのか、兄弟子は僕の向かいで朝に沸かした茶を飲んでいる。
とっとと食べてまえと急かすこともない。
そういえば、前にこの丼で食べたときは、中身が親子丼やったな、とふと思い出した。
この誰が作ったか知らないが、安定性の悪そうな丼は、今日はなんや親子丼食いたなって、と言いながらふらっと兄弟子が買ってきたものだった。その辺の瀬戸物屋で買うて来た無骨な器ならまだしも、どこのセレクトショップで見繕って来たのかと言う洒落た丼で、テレビの横に無造作に置いてあったレシートにはその辺で買った丼よりも桁が二つ増えていた。
「なんや買いたいもんがあるなら、僕に内緒で買うたらええやないですか。」
冗談のつもりで言った言葉に、兄弟子は真顔になった。
……そこでぎくっとした顔せんといてください。
「次は、何買うつもりですか?」
「……ちょっとええジャージが欲しいねん。パチモンやのうて、速乾性のある…ミズノのちょっとええやつ。」
数年前に、『喜代美ちゃんとブートキャンプするんや~♪』とかなんとか、しょうもない流行りに乗って運動着を買うたときも、三日で止めて箪笥の肥やしにしていたはずだ。
あの時も大枚叩いて買ったはずのジャージは、引っ越しの時に、若狭経由で草々兄さんところの新しい弟子のところに引き取られて行ったような気がする。
「どこのメーカーでも、ちゃんとしたスポーツ関係のメーカーで買えば、物がいい代わりにそれなりの値が張るに決まってるでしょう。元が取れるまで着倒す覚悟はあるんですか?」
「オレかてそんなんないけど、始めるしかないやんか……。なあ~、しぃ~、ええやろ、こんくらい……今後のオレとお前の健康のためと思えば、必要経費やんか。あの奈津子さんに聞いて、良さそうなジムのパンフレットも持って来てんのや。」
「ジム?」
「ボクシングジムとちゃうで。今流行りのフィットネスクラブっちゅうやっちゃ。雑誌で特集したときに、雑誌には絶対載せんといてくれ、て言われたとこで、場所も値段もええとこがあったんやて。そら、なんでもかんでも初期費用を押さえるに越したことないけど、オレもお前も人に見られる商売やし、メジャーどこのメーカーのジャージやないと格好付かへんやんか。」と言って口を尖らせた。
「僕を巻き込まんといてください。」
「オレかて、理由があんねんて。」
お前とオレは一蓮托生じゃい、と普段ならそう言ってこちらを締めあげるところで兄弟子は口を噤み、ちらっとこちらから視線を逸らせた。
「ちょっとくらい腹が出たくらいで、兄さんも年ですから、そういうのも愛嬌と違いますか?」
触り心地も悪ないですし、と言うと、年下の男は顔を赤くなった。まるで。
「……蟹。」
みたいていうか……。
「なんやて?」
「新しいジャージが欲しいていうなら、来月の蟹すき止めて、浮いた金で買うたらええやないですか。」というと、ええ~という声がとんでもないところから飛んで来た。
「静かにしてください。子どもが寝てたらどないするんですか。」
「そうかて、年に一度の蟹やぞ。蟹すきにして子供に食わせたるから一年頑張る、て言うたやないか。」と小声が返って来る。
これは僕から積極的に言うたわけではなくて、多少の酒を入れた状態のこの人と話をしていたら、流れでそうなったのだった。
言うまでもなく、イキのいい蟹に一番喜んでいたのは、僕の目の前の吉田仁志くん(小五レベル)である。
「去年は去年です。越前蟹を小浜から送ってもらうこと考えたら、その高いジャージとトントンくらいでしょう。」
「それとこれとはちゃうで……。」
「ほなジャージは諦めてください。」
「いやや~、蟹も食べたい!」
そもそも、家の財布から出そうと考えるからあかんのと違いますか、と思ったが、言うのは止めておいた。
これは駄々をこねる男が可愛いからとかそういう理由ではない。
そのはずや。
栗ご飯、おかわりええですか、と言うと、「お前にやる飯はもうないし。」と言いながら、自分の丼を持って来て山盛りにしている。
「今の時間から食べたら、また腹の肉が付いてまうと思いますけど。」
なにせ、米となれば、つまりは炭水化物である。
「……明日の朝食べるし。」と兄弟子は誤魔化すように言った。
「食べやすいように握り飯にしてくれたら、ジャージのこと考えたってもええですよ。」
「ほんまか?」
「その代わり、草若兄さんにもお年玉が必要なんやて話を子どもにしますけど。」
「一月かいな……。」
「その頃には一応それなりの出演料が入る予定もありますから。」
十二月の仕事は月末締め翌月払いになる。
そのことを知っているくせに、「運動の秋やで、今欲しいんや。」と兄弟子がまたごねる。
「どうせ、正月は暇して子どもと餅ばかり食うんやから、年末年始を過ぎた後に買うて、次の春から始めたらええでしょう。」
「お前がそない言うなら、それまでになんぼか痩せたるわい。」
そう言いながらも、膨れた顔のまま、炊飯ジャーからよそいなおした栗ご飯を握り飯にしている。
痩せるための運動の手伝いが欲しいなら、と口にしようかと思ったが、この人がまた蟹みたいに顔を赤くするのかもしれないと思うと、口には出せなかった。

powered by 小説執筆ツール「notes」

16 回読まれています