情緒は振り回すもの
じ、と視線を感じる。
妙なものではない。悪意はなく、むしろ好意的な熱を乗せた視線が、ローの顔を貫かんばかりに向けられている。
「……なにか言いてェことでもあるのか、ゾロ屋」
空になったコップを置いて、ローは正面を見据えた。ローと同じテーブルには、一席空けて右隣にシャチと、彼の正面にウソップがいる。そこから一席空けてウソップから見て右隣、つまりローの正面にはゾロが座っていた。
先に来ていた三人はとっくに夕食を食べ終わっている。諸用をすませ、少し遅い夕食を摂りに来たローは今し方終えたところだ。ゾロの正面に座っているのは、単にシャチに促されるまま流れに身を任せた結果である。こんなにじっくり食べ始めから終わりまで見られるとわかっていたら、絶対に座らなかった。
「ほらゾロ、やっぱ見すぎだって」
「キャプテンが飯食うとこそんな面白い?」
まるで好奇心旺盛な子供を宥めるような言い方に眉を寄せる。相手は二十歳を超えた男だ。しかも億超えの賞金首で、最悪の世代にも数えられている。付き合いの長い、同じ船のウソップならともかく、他船でついこの間会ったばかりのシャチまでも子供のような扱いをするのは、いかがなものか。
一応こいつ麦わらの二番手だぞ、とシャチを横目で見やると、素知らぬふりで顔を逸らされた。いつの間にそんなに仲良くなったのだか。こんなことで怒るような人間ではないのは知っているが、自船と他船の線引きは必要だろう。
「……トラ男は、」
「あ?」
唐突に名前を呼ばれて、正面に意識を戻す。ゾロはローが来た時から体勢を崩しておらず、相変わらず頬杖をついたままだった。ジョッキの中身は減っているので、酒は呑んでいるらしい。しかし、薄いグレーの隻眼は、ローから一度も逸らされることはない。
「トラ男は、男前だよなァ」
「――――――」
思わず三人は沈黙した。いきなりなにを言い出すのだろう、この剣士は。確かにローの顔は整っている。島へ上陸した時などあちらこちらから誘いがかけられるくらいには、老若男女が放っておかない。それはゾロも同じことではあったが、本人にその気が欠片もないので自分に向けられているという認識がなかった。
「いままでおれが会った奴の中でも三本の指に入るくらい、いい男だ」
「……そりゃどうも。ちなみに、他の二本は?」
「ウソップとフランキーとブルックとチョッパー」
「溢れてんじゃねェか」
「あとカルー」
「誰だ」
「おいおい、ゾロ君。いい男だって思ってくれるのは嬉しいが、ルフィとサンジはどうしたよ」
「クソコックなんぞ論外だろ。あれのどこがいい男なんだよ。ルフィはおれの船長だからそういうのじゃねェ」
「悪い話戻させてもらうけど、ロロノアはキャプテンのこといい男だと思ってんの?」
線路からはみ出しかけた話題を、シャチがひょいっと元に戻す。ゾロはそうだ、と肯きながらジョッキを傾ける。
「確かにキャプテンはいい男だ。おれ達はみんなそう思ってる。ロロノアはなんでそう思ったんだ?」
「最初は、やけにツラがいいなと思ってたんだが」
顔か、と内心三人は呟く。シャチなんかはわかるわかる、と大きく首を縦に振っていた。
「なんだかんだ文句言うわりに、おれ達のノリについてくるだろ、こいつ。おれが酒に誘っても結局付き合うもんな。生来の面倒見の良さか知らねェが。チョッパーとか誰かが何か質問すりゃ、適当にはぐらかしたりしねェでちゃんと答えてやってるとこも良い。あァ、ドレスローザの時みてェな、自分の目的に一途なところも好きだ。自分の中にしっかりしたモンを持ってる奴ってのはそれだけで好感が持てる。恩人とやらをずっと大事にしてるし、情も深い。それに悪ぶってるように見えて、こいつ根は善人の部類だよな。おれ達をお人好しだなんだと言うが、こいつもたいがいだぞ」
あとやっぱりツラがいい、とやけに熱っぽく、しみじみ答えるゾロに、ローは唖然とした。その表情のまま、斜め前にいるウソップを見る。ウソップも似たような顔でこちらを見ていた。
「……え、つまり顔が好きってことか?」
「話聞いてたか? まァ、トラ男の顔は好きだが」
キャパオーバーしたらしいシャチの頭にはクエスチョンマークが飛んでいる。ローとウソップも同様だろう。幸い他のテーブルのクルー達には聞こえていないようだが、異様な雰囲気は伝わっているのか誰も会話に加わってこない。
三者三様に顔を見合わせる。当人のローが未だに混乱から抜け出せなかったので、同じ船のクルーとしてウソップが代表者になった。ごほんと無意味に咳払いをして、ゾロのほうに体ごと向き直る。
「つまり、ゾロはトラ男が好きってことか?」
「おう、好きだ」
「あ、これ違うやつだな。そうじゃないんだよ、ゾロ君や。おれが言ってんのは、トラ男と恋人同士になりたいのかってことで」
「いや、そういうのは別にいい。おれァ、こいつを眺めてるだけでじゅうぶん楽しいんだ」
「……恋愛感情はないわけじゃ、ないのか?」
「好きなことは好きだが。トラ男とどうこうなる気はねェな」
言いながらも、ジョッキの中身は順調に減らされていく。この状況でいつも通り酒が呑める豪胆さはさすがというべきか、図太すぎるだろと言うべきか。その間もローから視線はいっさい外れないのは、いっそ感心してしまう。――そんなにおれの顔が好きか、ゾロ屋。
「そういや、前から思ってたが」
ふと、ゾロの目元が緩んだ。鋭く刃のような光を宿す隻眼が、じっとローの目を見ている。純粋な好意に慈しむような色を混ぜた二重に、無意識にローは息を呑んだ。
「お前の目、月みてェな色してるよな。トラ男がいりゃ、この船の中だろうといつでも月見ができそうだ」
からりと笑う男の隻眼こそ、いまは薄いグレーだが、陽の下で見れば少し緑が混じっていることがわかる。それに気づいている人間は、どれだけいるのだろうか。少なくとも、この船の中ではローだけのはずだ。別に、それがどうというわけでは、ないけれど。――ないの、だけれど。
「……おれをどうしたいんだ、お前は」
「別にどうもしたくねェ」
「どうにかしたいって思えよせめて……」
頭を抱えてしまったローを責められる人間は、この場にいるわけもなく。
感情でパンクしたキャプテンは久しぶりに見たなあ、とシャチは半分同情しながら、ローのコップに水を汲んだ。ちなみにもう半分は、敬愛する幼馴染であり船長である歳下の男が、さらに歳下の男に情緒をめちゃくちゃにされていることへの面白さであることは、船長には決して悟られてはならない。
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