それからいつまでもしあわせに暮らしました

 その昔、あるところに日光くんというたいへん真面目な若者がおりました。もとは村の名主の息子でしたが、あるときから諸事情で山奥のちいさな小屋に一人っきりで住むようになり、つましい暮らしを送っていました。

 ある秋の日、夜なべして編んだわらじを売りに行く途中の山道で、日光くんは、でっかいナベヅルが藪の中であばれているところに行きあいました。
 みれば、鶴の足には罠らしきものがからみついています。このままでは飛ぶこともできず、弱って無駄死にするばかりでしょう。
 神域たるこの山中でなんたること、と思った日光くんは、ばっさばっさと羽で威嚇してくる鶴の攻撃をくぐりぬけて、どーにか罠を脚から外して傷口を洗い、養生しろ、と声をかけて放してやりました。

 この鶴を便宜上おつうとよびます。おつうがこのときどれくらい日光くんを気に入ったのかは定かではありません。ただ、とにかく、命を救われはしたわけです。
 その冬、元気になったおつうは、このでっかい借りをそのままにしておいては寝覚めが悪い、と思いたち、山の神様のご加護のもと、気合いで人間の娘に化けました。それから、雪をかき分けていって日光くんちの戸を叩き、道に迷ったので一晩泊めてくれ、と言いました。
「場所なかったらべつに、そこの軒下とかでいんだけど……」
そんなわけにはいかず、日光くんは雪まみれのおつうを部屋にいれてやりました。
 いろりの火影に照らされたおつうは、どこぞの姫様か、と疑いたくなるような綺麗な娘で、日光くんはびっくりしました――いやはや、このときおつうが実際にどれくらい上手に化けられていたのかは定かではありませんが、少なくとも日光くんにはそう見えたようなので、なにも言うことないですね。
 真冬の山奥で、そうそう雪が止むわけもないのをいいことに、おつうはそのまま日光くんの家に何日も何日も居座り、藁靴やかんじき作りを手伝いました。
 そのうち、日光くんはすっかりこの正体不明の女性を気に入ってしまいました。気に入り過ぎて、ぜんぜん旅立つ気配がないのが逆にとても心配になってきました。嫁入り前の女人が独り身の男のもとに長居しては、嫁の行き先がなくなるかも――などと思った日光くんはある日意を決して、おつうにそのむね警告しました。
 ところで、おつうはおつうで日光くんを気に入っていました。このままなし崩しにどーにかこの小屋の女主人になってしまうつもりでしたが、日光くんがはっきりさせたいなら受けて立つしかありません。
「もう手おくれじゃない?それなら」おつうは指摘しました。「責任とってお嫁にして」
詰め寄ってくるおつうに、日光くんはしどろもどろで言いました。
「お言葉ですが、俺はこの通り貧しい木こりです。連れ合いに人並みの暮らしをさせるだけの田畑もありません」
「|ひと《圏》並み?」おつうは鼻で笑いました。もともと鶴ですから。「べつに、そんなのどーでもいい。いやならいやっていえば? そしたら、おれ、今すぐ帰るかもよ」
「いえ、いやではないです」
日光くんは即答しました。こうなってくると、問題があるとすればお金のことだけです。
 日光くんは、「これから山を開墾して、妻子を養えるくらいの畑と蓄えができしだい貴女を迎えに行きます」と提案しました。これには少なくとも数年はかかる、と聞いたおつうはとても微妙な顔をして、ある提案をしました。日光くんが機織り小屋を作って、そこで己が布を織る――それを売ればすぐに金が入るから、それで祝言でもなんでもさっさとやってしまおう、というのです。
 日光くんが半信半疑で機織り小屋らしいものをつくりあげると、おつうは「じゃ、織ってくるから、おれが出てくるまで絶対に小屋ん中覗かないで」と言いました。
「見たら、ぜったい、許さないから」
わかりました、と日光くんは応えて、そのとおりにしました。

 おつうは機織り小屋から五日のあいだ一歩も出てこず、六日目、すばらしい反物をもって出てきました。雪を織り上げたような銀色の布でした。美しいだけではなく、手に持てばたいへん軽く滑らかで、それでいて暖かいのです。
「これ、この世に二つとないやつだからね」おつうは日光くんが焼いておいた芋を囓りながらいいました。「大事にして。おれも一生にほんのちょっとしか織れない」
日光くんはもとはそれなりの育ちで、上等の布も見た事があったので、きっと彼女の言うとおりなのだろうとわかりました。
「えらいひとんとこもってって売ったらいい。千金でも買い手がつくかもね」
「千金!?」
「たぶんね」おつうは二個目の芋を炉の灰の中から火箸で器用に掘り出しながらいいました。「ま、だめならそれはそのときで、きっとどうにかなるでしょう」

 日光くんは布とわらぐつを担いで麓に降りていきましたが、まさかこんな希少な布とは思っていなかったので、なんの売るあても思いつきません。
 とりあえず、日光くんは、わらぐつをいつもどおり売りながら、情報を集めることにしました。橋の近くでむしろを広げ、その上に履き物を並べておけば、誰かしらがきて買っていきます。
 よってきた人々に日光くんは布を見せ、これをどう思う、いくらなら買うか、と声をかけました。誰かが、「こりゃええ布じゃのう」と気軽に言って手を伸ばしてきます。日光くんは黙っていられず、「手を洗ってから触れ!」と彼を叱りつけました――蜘蛛の子が散るように人々が逃げていきます。こんな調子では、わらぐつさえも売れません。
 それでも、日光くんはそれから半日かけて慎重に情報収集をつづけました。そして最後には、そもそも、わらぐつを買いに来るお客さんの大半どころか、このあたりの商人の大半が、千金なんぞという大金はもっていないということを理解しました。
 いくら素晴らしい布でも、千金をもつ買い手がいなければ千金では売れません。かといって、あれだけ頑張って織ってくれたのに、このまますごすご帰るわけにはいきません。ここまでしてもらったからには自分も応えなくては、と日光くんは思っていました。見る目がある買い手の元に持ち込めさえすれば、どうにかなるはずなのですが――。
 日光くんは、とうとう、最後の手段を取ろうと決めました。かくなるうえは、実家に頼るしかありません。

 最初にちょっと言ったとおり、日光くんはもともと村の名主の家の次男坊でした。
 長男であるお兄さんは優しい人で、日光くんをとても信頼してくれていました。数年前、お父さんが隠居することになったとき、お兄さんは日光くんに財産目録を見せて、「お前と私で土地財産を半分に分けよう」と提案してくれたのです。
 しかし、日光くんは、『吾妻鏡』なんかを読んで歴史をよくよく知っていました。たとえ今は良くても、兄弟で公平に農地を分けつづければ、一人一人のもつ土地は一代ごとに小さくなり、家が弱ってしまうのが世の常なのです。
 家のためにならない先例を作るわけにはいかないが、家族で話し合えばおそらくお兄さんに説得されてしまう――とか思ったのでしょうか、若かった日光くんは、その夜、自分の考えとこれまでの感謝を長々書き残して、誰にも言わずに家を出ました。そしてそれ以来、山奥で静かに暮らしてきたのです。
 お兄さんはいまも村で名主をしているでしょう。彼ならきっと、日光くんよりは伝手があるはずです。買い手を見つけるのを手伝ってくれるかもしれません。
 問題は、突然の出奔で実家の人々に大変な心配と迷惑をかけたので、あわせる顔がない、ということだけです。村の近くにさしかかると足が重くなりました。不孝不悌の行いをしておきながら、のうのうと顔を出すなんて――。
 でも、立ち止まってふと布を抱え直すと、「きっとどうにかなるでしょう」とのたまうのんびりした声が聞こえる気がしました――そう、これは日光くん自身のためだけではなく、彼女の尽力に報いるためでもあるのです。どうにかしなくてはいけません。耳元で蘇ってくる声に励まされ、日光くんは数年ぶりに故郷に足を踏み入れました。
 懐かしい実家の庭に侵入し、縁側にいたお兄さんに土下座して無沙汰を詫びると、お兄さんは仰天しつつも日光くんの無事を喜び、庭に降りて助け起こしてくれました。
「謝ることはない、私もあのあと色々考えたのだがな」
お兄さんは「お前の言い分にも一理ある――但し、家産全体が増える場合を除けば、だが」と微笑んで、村の畑地を図示した絵図を見せてくれました。あのあと田畑の開発に励んだ結果、耕作ができる土地は、元々もっていたぶんの二割増しほどにもなったのです。一族で協力しないことにはとても面倒がみきれないので、日光くんの行方を捜していた、とお兄さんは真剣な顔で言いました。
「ですが、そんな、それでは申し訳が――」
「なに、お前が水路を作るのを手伝ってくれれば、これからはさらに使える土地が増え、収穫高も増すはずだ。――戻ってきてくれるだろう?」
日光くんは心底感激し、迷惑をかけたことをお兄さんに陳謝しました。お兄さんが日光くんを再び地べたから助け起こしているところにちょうどお父さんも出てきて、あきれたり喜んだりして、玄関から家に上げてくれました。
「いったいいつになったら戻ってくるのか心配してたよ。ところで、その大荷物は何だい?」
日光くんは布を見せ、今日はこれをどうにかしてふさわしい価格で売らねばならなかったのですが、うまくやれなかったのです、と正直に話しました。
 お兄さんは布を見てその美しさに驚き、これだけのものならいっそ殿様に献上したらどうだ、とすすめました。価値をわかって褒美をとらせてくれるかもしれません。日光くんもそれはいい案のように思いましたが、お父さんは布を手に取って首を傾げました。
「だが、こりゃ、上等とかの度合いを超えてるように思うがね――仮に、偉いさんがもう何枚か欲しがったとして、仕入れて来られるような代物なのかい?」
人間が織ったものとは思えないできだ、とお父さんは評しました。こういうことがわかるのは、年の功ってやつですね。
 この布はこれ以上手に入るのか、という問いに日光くんは答えられませんでした。これを織り上げたとき、姫――日光くんはおつうのことを姫と呼んでみて、やめろと怒られてやめたのですが、心の中ではもっぱらそう呼んでいました――は、相当やつれていました。一生でほんのちょっとしか織れない、とも言ったのです。
 日光くんの顔色を見て、お父さんは言いました。
「そんな顔するくらいならやめといたがいいんじゃないかね。人間の欲ってのは果てがないからな、ここまでの|代物《しろもの》ってなると危ないぞ」
ひとたび表に出したが最後、もう一枚くらい織れるだろう、とか、まだ隠し持っているにちがいない、とか疑われて、家、ひいては村にとって災いの種になるかもしれません。
 なるほど、と日光くんが思っていると、お父さんは顔を上げて、「ところで、これを織ったのはお前さんの|好《い》い人なのかい? まさかこれを自分で織ったわけでもないだろう。どんな子だい?」と訊いてきました。そこまでお気づきでしたか、と日光くんは恐縮し、正直におつうとのことを打ち明けました。
「先日からその女性は私の住まいに住み着き、妻になるというのです。暮らし向きが厳しいといって断ったところこの布を織ってくれ、売れば千金にもなるだろう、と言いました。それで里に下りてきたのですが……」
そりゃまたずいぶん見込まれたもんだ、とお父さんは言いました。
「売る売らないはあとにして、さっさとその|娘《こ》を連れてくりゃいいじゃないか。なに、どうにかなるさ。なんなら僕からも話をしてやる」
そうしたらいいとお兄さんも言ってくれたので、日光くんは家に走って戻りました。

 出がけとほぼ変わらぬ日光くんの大荷物を見たおつうは、どうしておれの言うとおりに売らなかったの、と眉をしかめました。日光くんは事の次第をかいつまんで説明しました――布の買い手がいなかったので、最後の手段と思い切り、二度と帰れないはずの実家に行ったら、なんとまあ戻れることになったのです、と。おつうは難しい顔で布を抱き、「じゃあ、これ、売り値もつかなかった、ってこと?」と訊きました。
「いえ、単に俺に商才がなかったというだけです」
日光くんは座って荷物をまとめながら言いました。
「それに――今は、むやみにこれを売るのが惜しいような気がしているんです。この布をもっていると不思議と貴方が側にいるように思えて力が出ました」
おつうは何とも言えない顔で「まあ、そうかもね」と言いました。
「――んで、これからどうすんの?」
日光くんは改めておつうに頭を下げ、一緒に村にきてくださいと言いました。おつうは「ん、ついてく」と了承し、お兄さんたちは大変喜んで二人を家に迎えてくれました。

 おつうが籠もりきりで機を織ることは二度とありませんでした。畑の作物の世話をしたり、馬や牛の面倒を見たりして過ごす村の暮らしをおつうは気に入ってしまい、そうなると機織り小屋に一週間も籠もっているひまはないのです。それに、日光くんとお兄さんが頑張ったかいあって、水路の建設も田畑の開発もすっかりうまくいき、布を売りにいかなくても村のみんなじゅーぶん、おなかいっぱい食べられました。

 ってわけでまあ、めでたしめでたし!
 あ、布? あの布は結局、すばらしい着心地を活かしておつうの寝巻になりました。
 よそ人に見せるのは危険なほど美しい、とかなんとか日光くんはその後もときどき言ってましたが、それが寝巻そのもののことか、それとも寝巻すがたのおつうのことだったのかは永遠の謎です。だれもあえてそんなことを確認しにいく気になれないくらいには、ふたりはいつまでも仲がよかったのだ、と、そんなふうに伝わっています。
                                                                《おしまい》

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